Talk About 連載第1回

 

―黄凱自筆によるタイトル―

子どもの頃、誰にとってもかけがえのない月日
子どもの頃、誰にとっても輝かしい月日
何も考えず、何の不安も無かった
あの日々が懐かしい・・・

 

―誕生―

 

1歳

1977年、上海市で生まれました。
この頃は、自分がバレエダンサーになるなんて
夢にも思わなかったんだろうな・・・



父、黄偉強(ホワン ウェイ チャン)
元体操選手で、現在は舞踊学校で民族舞踊に必要なアクロバティックなテクニックを指導しています。
正直で優しい人。そして、面白い!
真面目で、
どんな事にも一生懸命な姿勢を
尊敬しています。
そして・・・僕よりもかっこいい!?

母、許國寧(シュイ ゴ ニン)
母も元体操選手で中国の体操の全国チャンピオン。現在は上海青少年体育学校で体操の指導をしています。
とても優しくて、でも厳しい人。
上海にいた頃は、いつも辛口のダメだしをたくさんされていました(笑)
けれども、その母のアドバイスは
素直に受け入れていました。
母自身もチャンピオンですが、指導した生徒もまた世界チャンピオンに育てていて、そんな指導者としての母も尊敬しています。

父と母は料理上手!
僕も料理はしますが
二人の方がずっと上手い。
母の豚の角煮
そして
父のポテトサラダ
これが一番の好物で
いつも食べたくなる
家族の味です。

―幼少期―  

3歳
これは、確か3歳の誕生日の時に撮った写真だと思います。
おとなしい子どもだったと聞いています。
この頃から、この髪型が定番 !?
   
―少年時代―  

4歳
本当に僕かな?っていうくらいニコニコしている。
あまり記憶は無いけど、
今より愛嬌があることは確かですね(笑)
これは父の友人の家に遊びに行った時のものです。
何故か壁に貼り付けてあった?絨毯の前で。

5歳
   

 

お母様へのインタビュー

Q生まれた頃の印象は?

とても清楚な顔立ちの子でした。
生まれて間もない頃から、
あまり面倒をかけない子供でした。

Q子どもの頃はどんな子でしたか?

とにかく良い子でした。
お友達とワイワイ騒ぐより、どちらかというと1人で遊ぶ方が好きなようでした。
あまり、喋ることが好きではなく、勉強も好きではなかったようですね。
運動は好きで、ジャンプが得意でした。

Q黄凱が日本に来ることになった時はどう感じましたか?

日本行きが決まった時は、両親、親戚も皆賛成し、
彼には、「中国と日本のバレエの懸け橋」になって欲しいと思いました。

Q黄凱にしてもらった事で、一番嬉しかったのはどんな事ですか?

「してもらった」というか、やはり黄凱の踊りを観た時、
うまく踊れた時はもちろんですが、たとえ失敗した時でも、
踊っている彼を観るのは好きですし、
活躍している彼を観るのはとても嬉しいことです。

Q今の黄凱をどう思いますか?

今現在の日本での活躍を誇りに思います。
それはたくさんの方々の助けがあってこそと思います。
彼を支えて下さる皆様には感謝しております。

Qこれからの黄凱に期待することは?

まず、ずっと正直な人であってほしいです。
自分に厳しく、他人に優しい人でいてほしい・・・
そして、もっと頑張って、常に前進し、ステップアップしていってほしいです。

Q日本のファンにひとことお願いします。

日本のファンのみなさま、いつも応援していただきありがとうございます。
素敵なファンの方々に出会い、支えていただいて、
彼はとてもラッキーだと思います。


2003年2月 上海にて


■編集後記
連載初回シリーズは、ダンサーとして人として
黄凱の魅力の原点をテーマにしました。
第1回目の誕生〜少年時代はいかがでしたか?
次回はバレエとの出会い〜バレエ学校時代です!

貴重なお写真、そして素敵なメッセージを寄せて下さったお母様に心から感謝致します。

 

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